ウォークマン開発ストーリー Vol.13

 

お国柄に合わせた商品づくり

TPS-L2発売以来、WM-2、WM-20とウォークマンは全世界で受け入れられ、そして世界的なヒット商品となりました。

そして、時間の経過とともに、ウォークマンに対する要求が国により少しずつ変化してきました。

たとえば日本では、高価ではあるが、よりコンパクトで高機能なタイプが受けました。一方ドイツでは、音揺れを極限まで抑えることが出来る、ディスクドライブ方式を採用したWM-DD、WM―DD2などの高性能ウォークマンが常に一番人気で、さすが技術の国だと思いました。

そしてアメリカでは、とにかく安いウォークマンが売れていました。アメリカは日本と違い、ミュージックテープが非常に安かったため、自分で録音するよりもミュージックテープを購入する方が合理的でした。そして、ウォークマンはそれらのミュージックテープをどこでも手軽に聞くための実用的な道具として発展していったのです。そしてアメリカでは、こうしたニーズに対応した、安価な(ただし品質はあまり高くない)後発メーカーのヘッドフォンステレオが売れ始めていました。

そこで、ソニーもこのニーズに対応すべく、アメリカ専用のウォークマンが企画・販売することにしました。そのターゲット価格は日本円換算で3000円前後と、当時の日本モデルの、なんと五分の一から十分の一の価格でした。そのため、ケースはオールプラスチックで、大きさも日本モデルの倍以上もある仕様でしたが、アメリカ人は日本人ほど大きさに対するこだわりが無かったようで、とにかく安いことが第一でした。

そこで、安く作る構造として、メカデッキのシャーシを板金ではなく、プリント基板にしてしまうというアイデアが出ました。つまりプリント基板に電気部品を実装し、そのあと、そのプリント基板にメカ部品を組み込んで行き、最後にケースをかぶせて完成、という構造です。一見合理的に見えるのですが、冷静に考えてみると決してそうではありませんでした。
まず板金のメカシャーシは、実はそれほど高価ではありませんでした。一方プリント基板は、平面度や強度などが板金よりも劣ります。またメカ部品を載せる場所には電気部品は載せられないため、結果としてプリント基板の寸法は大きくなってしまいました。また、メカブロック、電気ブロックの分業生産もやりずらくなりました。ただし、板金部品がないことで、本体をより軽くすることはできました。色々と課題が残る機構でしたが、上司はこの方法で進めるように指示しました。当時この決定にあたり、「面白いからやってみよう」説、「製造部門の電気とメカの垣根をなくす」説など、色々ありましたが結局採用理由は定かではありませんでしたが、設計者の工夫と努力の結果、心配に反して高い完成度のものに仕上がりました。

因みに、プリント基板を使ったメカデッキという事で、このセットは社内では「Pメカ」と呼ばれました。

さらにコストダウンの工夫として、カセット蓋の外装に新たに「インモールド成型」という技術を使いました。
従来の一般的なカセットテープレコーダーのカセット蓋は、例えば赤色のABSで成型した後、その真ん中に透明のABSをはめ込んで窓をつくったり「SONY」バッジをつけたり、機種名を印刷したりしていましたが、この工程は相当のコストがかかっていました。

それに対し「インモールド成型」は、まず素材を透明のABSとした、一体構造に変更します。そして、カセット確認用透明窓の周囲には浅い溝がつくように金型を作ります。 そして成型時に、この金型の内側にフイルムを挟んで成型します。そのフイルムには、カセットブタのデザインに合わせた印刷が事前にされています。バッチ部分には銀色で「SONY」文字、真ん中の窓部分は透明のまま、また「Walkman」表示は青字で印刷、そしてカセットブタの色は「赤」といった具合です。その結果、透明窓は別物の透明ABSをはめ込んだように見えるのです。
印刷ならどんな色やパターンでも作れますので、いろんな色を使った複雑なデザインでもコストはほとんど上がりません。

こうして、安価な割には豪華で多彩なデザインのカセットパネルが作成可能となり、アメリカ人好み?のデザインのウォークマンが出来ました。

このウォークマンはWM-31の型名が付きました。そして、アメリカで発売すると、この安価なウォークマンは飛ぶように売れました。
その後4年ほど、多くの機種でこのPメカが使われましたが、その後は、再び板金シャーシを使ったメカデッキや、プラスチックシャーシに代わっていったようです
しかし、この頃は「ダメもと」で気楽に色々なことを試すことができる、懐かしくも楽しい時代でした。

(談:S様)

 

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